問いストーリー
本編に関わるネタバレを含みますので、これからトイスト4を観る予定の方は読まない方がいいかと思います
先日トイストーリー4を見てきました
初めてトイストーリー1が公開されたのが1995年頃であり、私はDVDで映画を観たので初めて、トイストーリーシリーズを観たのが4歳5歳ぐらいの時のことでしょうか
トイトーリー2が1999年、しばらくしてトイストーリー3が2010年
とにかく幼い頃からこの作品を観てきた私にとっては非常に馴染みのある作品で、4をやると知った時に、何故作るのか、作ったのかなど、そんな理由はさておき、自然と見に行こう思えるぐらいの作品でした
今回のテーマが
「衝撃の結末」
映画ではありがちなコンセプトなゆえにそこまでの期待をせず
前情報や、評価など一切確認せず観に行ったわけです
観る前はまたウッディーやバズに会えるのか~(わくわく)
子連れも多く、いつも観るアクションやサスペンス映画の雰囲気とは違い、何ともほのぼのした雰囲気で、もはやそれだけで癒されておりました
しかし映画が始まってみると、いつものトイストーリーではあるものの
なんだかいつもと違う雰囲気
おもちゃとしての役割はなんなのか
ピクサーはシリーズを通してどんな時も子供に寄り添うこと
その子供を愛し、嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は慰める
そういった描き方を貫いてきた作品でした
トイストーリー2でバズが「おもちゃは子供に愛されてこそ生きる喜びがある、かつてそれを私に教えたやつがいる」と言われ、元のウッディに戻るシーンがあります
トイストーリー3でウッディーは、大学生になったアンディーと大学に行くことよりも、おもちゃとして在るために近所の女の子ボニーのところに行くことを選びました
それは、アンディーの元にはおもちゃとしての役割は残っていない
だからこそ今度はボニーのもとでおもちゃとしての使命を遂行する
“おもちゃとして” 誰かの人生に寄り添うことを選んだのでした
本作トイストーリー4では、それが幸せだったのかということを投げかけてきます
ウッディーは過去を思い出すかのようにゆっくり頷きます
子供はいつか大人になってしまう
そうなった時に自分たちはいつか遊ばれなくなってしまうが、誰かの人生に寄りそうことができ、その人の人生のページに残ることができるということがいかに幸せなのか
ギャビーギャビーという本作でウッディーたちを陥れる、最初から壊れていたおもちゃが出てくるのですが、そんなギャビーギャビーは本当はウッディーが羨ましい
自分も子供達と一緒に過ごす人生に憧れていた、でもほんとにそれはウッディーにとって幸せだったのか問いてきます
ここでもウッディーは時間をかけて、「ああ、そうだよ」と頷きます
この考える時間、きっと今までのアンディーとのこともきっと思い出しているんだなと思うとポロリと涙が(笑)
そんなウッディーがはぐれてしまったボニーの元へ帰ろうとするわけですが、
~~~~~~~~~~ここからほんとにネタバレ注意~~~~~~~~~~~~~
最後に選んだのはボニーところに帰らないという選択でした
このラストに関して、賛否両論のようで
ウッディーは今まで貫いてきた、おもちゃとして在り方、寄り添いの気持ちよりも、自分の人生を選んでしまったのか、自分の幸福を選んだのかという点です
私はこれに関して考えましたが、これは違うと思いました
ボニーや一人の子供の元に寄り添うことを捨て
いろいろなおもちゃを適した持ち主に送ることだったり、自分がおもちゃとして、今以上に最も真価をはっき出来る場所を探したい
ウッディーの願い、おもちゃとしての役割を追い求める姿は今でも変わってなかったのではないでしょうか
もちろん従来の持ち主であるボニーが心配なウッディーですが、そんなウッディーに長年の友バズライトイヤーの最初の一言が、「ボニーは大丈夫だ」とだけ言います
ありがとうでも、さようならでも、元気でね、でもないんです
あれだけ長く困難や思い出、人生を共にした二人がこれだけなんです
個人的にアンディーやボニーとお別れするところより、この二人がお別れするのが何より辛かった。。。。
こうしてウッディーは旅立ち物語は終わるのですが、
今までおもちゃとしての在り方を描いていたトイストーリー
もしこの、“おもちゃ” の部分をセラピストという文字に転換にしたら非常に納得のいくことに観ている途中で気がつきました
おもちゃにとっては子供なのかもしれないが、
私たちセラピストが必要とされるのは、大人であり、人である
大人だって成長もする
いつかはいなくなってしまうかもしれないし、使って下さる方の幸せ、人生の充実を考えた時にいずれは私たちはその人の中での役割を完遂する時が来るのかもしれない
でもそうであったとしても、“セラピストとして”、誰かの人生に寄り添うことができ、その人の人生のほんの一部にでもなれることがいかに尊いことなのか
その人のこれからが幸せであり続けるということが大切であるということ
今一緒に働いている仲間のセラピストさんもいつかは各々の道を選び進んでいくかもしれない
今この仲間と一緒に働けるということがいかに素晴らしいことなのか
トイストーリー4という作品がおもちゃとしての在り方を説いてくる中、私に対しては
じゃあお前は?
と聞かれていたような感覚でした
私たちが過ごす世界もまた、“問いストーリー” なのかもしれない
なりたいのはマッサージ職人ではない
勇気をもって失敗したい
以前にこんなツイートをしました
自分の人生について少し考えたことがあります
あなたは結果主義ですか?過程主義ですか?
僕は結果主義タイプの人間でした
今まで学生時代より結果結果結果、結果こそ全てという悪魔のような呪われたバックグランドを歩んできたからです
超現代人病ですよね
常に結果を出していく事が求められた環境だったことに加え、結果を出したという事実そのものの脅威的な力を見てきたからです
結果を出す人はざっくり3パターンで
天才
運がある人
努力家
日本人は特に何もない状態から努力で成功していくことを美だと考える習性が強いと思っているのですが、果たして結果主義だった僕がこの超結果主義社会に満足しているかというと、すごくモヤモヤしていました
例えばめっちゃ勉強したのにテストでいい点とれなかった時
いろいろ工夫したのに周りから評価されなかった時
何かにしろ地道な努力をした、向き合おうとしたにも関わらず、結果が出ていないから今までの過程は間違っていた、無だと周りは評価をしてくれない
こんな人生嫌だな~、でも結果出さないとな~、とそんな風に捉えていました
そう考えていると、常に結果に焦点を当て物事を考えてしまうようになっていたんです
努力よりも結果が大事である、どうやったら結果がでるのか
《努力とは結果を残すためのコストである》
一番よろしくない状態なのかなと僕は思ってます
コストってことはお金と同じで、出すこと自体を負だと思っていくようになるんです
努力(コストを払わなくても)をしなくても結果が出せること、才能があることを最高の状態と考える
たとえ才能がなくても努力で物事を成し遂げて偉大だと評価する
努力をしても結果が出ないことは最悪なこと
また結果のない努力は無価値のように思えてきてしまう
最小の努力(最安)で結果という成果を欲する
こうなってくると自分の中で努力そのもの価値がどんどん下がっていってしまうんですよね
でも努力はお金と違います
結果に執着せずに、努力や失敗そのものの価値を認めたい
時として遠回りすることも大いに意味がある
けれど結果を求めてしまう、結果に嫌悪を抱く自分もいる
心のブクブクが止まらんねえ!っていう状態です
だからこそ!
何か目に見えない現実や何かに葛藤しているセラピストとして、同じように何かに葛藤して何かで疲れている方たちのお相手もしたいと思っていましたし、事実そういった方々との出会いが多い世界だなと感じています
ふと思ったのが
結果が出ている、出ていないに関わらず
果たして僕はこのセラピストというお仕事で努力というコストを払ってきたのか?
これを考えてみました
この業界に入りたての頃ってお客様を癒やしたい!とか、性★マッサージとはこうです!とか、こうやったらイきますとか
いかにも専門ティックのような、プロフェッショナルな感じを作り出そうとしていました
それはそれで成功した(成功したように見えていた)方がいたからです
今となっては “癒やしたい” はする方の主観性や主張が強く、そして自らの技倆を謳うのはあたかも誰にでも真似でき、誰にでも効果を発揮するみたいな、なんだか受け手を見る、そもそもお相手を洞察する大切さを損ねる気がしてどっちも好きじゃなくったんですけどね
“僕がなりたいのはマッサージの達人ではない”
これに気がついてからそれはやめました
マッサージのお勉強は大事だけど、我々セラピストにとってはおもてなしやマナー講座の方が必要なんじゃないのかなと個人的には思っています
前店にいた際に技術だけではなく、マッサージ以外の人との向き合い方や、接客の考え方に対していい具合にすぐに成果が出ないような教えを受けました
それもめちゃくちゃ勉強しなくちゃいけない!とかでなく、むしろ努力なんて皆無、しなくていいような課題をポッと投げかけられたような
中身については今回は割愛しますが、
結果としてこれが今の僕自身と日々の施術にすごく活かされてます
この結果に対して、僕はどんな努力をしたかというと、してないんですよね努力
強いていえば考え方を変えたり、“進み続けていた足” をちょっと止めただけ
こんなこと意味あるのかな~って悩みながら
今までの僕は、ここテストに出るから勉強しとけーよってところをテストで100点を取るために勉強するとか
この仕事でいい結果を残すためにこれとこれを修練するんだ!とか
分かりきった成果やご褒美が目の前にあるからこそ頑張れてました
何故この自分のスタンスが崩れたかというと、
当時の講師さんに対する信頼性がとれていたのと、女性接客や人の心は理屈でどうにかならないものであるという事を身を持って知ったからなんだと思います
どんな事もまずはやってみろの精神です
つまり今までどんな結果が出るか分からない努力をするのを躊躇していた私はこの業界に来て初めて、結果が出るかも分からない、ましてやどう努力するのか、そもそも努力なのか分からないことが試行錯誤するようになったのだと実感しています
セラピストに初めてなった際に金額に見合った内容の施術をしないといけないというプレッシャーがありました
そんな中で答えのない質問を前店オーナーや同僚セラピストさん、関係講師さんに聞いてまわったり、もちろん失敗もたくさんしてきました
何回も何回も意味あるのかなこれってこともしていたと思います
でも結果、現状今少なくとも1人以上のお客様から「来てよかった」「ありがとう」と頂けているからすごく意味がありましたよね
人生の中の過程も結果もそれでいいんだということに気づけました
自分が今している努力、つまり過程の“意味”(結果)を求めなくていい
行ったことの結果が、誰かの、何かの“意味”(結果)あること”になればいい
これはすごく大事なことなんだと捉えています
意味など探さなくていい
一生懸命やった、自分が精を出しつくした120分の結果
幸せになってくれる人がいる
これ以上のことはないと
だからこそ勇気をもって失敗することも、勇気をもって何もしないことをするもやっていっていいんでしょうね
きっと何かの意味のあることに変わるのだから
施術で使うBGMを一部紹介
内容は一部変わっていることがあるかもしれません
●レオのオリジナル
いつもながらレオのミックスBGMになっております
施術と相性のよいオルゴール調の曲で構成されており、「頑張ったね、今日もお疲れ様」と言ってほしくなるような感情の開放と、この時間だけでも明るく元気になれるようなサウンドを心がけております
ちなみに既に受けている方はお気づきかと思いますが、レオならではのあの曲や、懐かしのあの曲まで入っており、ちょっとした遊び心も含まれております
●自然
ナチュラルな耳あたりの良い音声を集めました
海、風、川、山、大地、鳥のさえずり、
まるで自然の中で優しい施術を受けているような開放感をイメージしました
万人受けしやすい音です
●ディズニー
目を閉じればそこはまるでおとぎの国
オーソドックスですが初心者はこちらがおすすめ
寝落ちしてしまうぐらい優しくゆったりとした曲調です
ディズニーということですが、遊び心でディズニーでない曲も入れてみました(笑)
あれ?これどこかで聴いたことがあるけどディズニーじゃないような………そんなちょっとしたクイズもお楽しみ下さい
ディズニーがあるからいつかユニバーサルも作りたい
●季節のBGM
春夏秋冬を感じられる4つのBGMをご用意しました
季節ごとに変わりますので、4シーズン全てBGMが異なります
夏の海や花火の音から冬のクリスマスBGMなど
施術をしながら、明るくお話を楽しみたいなという方におすすめです
ちなみに第一弾は冬ですよ~
●ヒーリング
ゆったりとしたお時間の中でマッサージだけでなく、音によるヒールも体感できるかも
リラックス効果がある音なので、安定感のあるBGMです
とにかくリフレッシュしたいという方へおすすめです
●宇宙
宇宙の壮大なスケールによる変幻自在な圧倒的自由感がテーマです
宇宙空間の中で無重力のマッサージを受けていることを想像してみて下さい
たまにホテルで宇宙をモチーフにした部屋がありますが、そんな部屋とは相性は最強だと思います
いずれはプラネタリウムとコラボした音を作る予定
●和風
和風テイストなBGMが作り出すのはまさに江戸時代
日本ならではの上品さのある音にマッサージをミックスしました
時代を超えて受ける施術はまさに歴史ロマン
江戸の町へタイムスリップをテーマに作りました
お城で受ける性〇マッサージとは
実は個人的におすすめしたい
●ハワイアン
シーサイドで海を見ていたり、波を見ながら紅茶を飲んでまったりしているような時間
あの空間がゆったりとしていていいなと思い作ったプレイリストです
もちろん施術に適した曲調なので、徐々に身体の芯がまどろんでいくかの流れになっています
南国にいるような気分でお楽しみ下さい
●エ〇ティック
*まずはじめに、これは絶対的な効果を確約するものではありません
あくまで雰囲気作りの一部と捉えて下さい
今回の大本命です
何故施術BGMを変えたのか?
私の施術は5感で楽しむ、をモットーにしているのですが、
この5感で楽しむのルーツを辿ったときに、いったいどこに辿りつくのかを考えました
その答えが催眠音声だった訳です
私は施術をする際に、部屋の環境面や空気感だったり、施術中の会話速度や会話内容、ちょっとした囁き攻め(言葉攻めではない)をしたり
当たり前のお話になってしまいますが、5感から脳に伝わる情報、その情報になりうるできるだけ多くの要素を工夫することで、最終的に脳をトロっとさせるアプローチを意識していました
催眠音声もこれと似たりよったりで、まずは身体と精神をリラックスさせた後に、音による催眠誘導を行うことで術者の言うことがまるでほんとに再現されているかのような錯覚を起こすと
こういった音による内側からのアプローチに、マッサージのような外面からのアプローチが加わったら最高なんじゃないかと思ったのでした
ちなみ私がお話しているのはあくまで催眠音声の技法を参考にしたものであって、本格的な催眠や脳イキなどの分野とは異なります
アプローチの仕方において、この催眠音声を参考にするのは非常に有意義だったのですが、そもそもの施術(マッサージや接客)というのが詰めていくと難しい世界だったので、最初から最後の流れではなく、単一した施術に多く目がいきがちでした
もちろん今日はどんな一日にしたい!は来て下さるお客様に決めて頂いているので、流れだろうが、単一だろうが、何でもいいんだよ~というのが今の僕の考えです
こんなのが私の施術のルーツでした
ところがある日突然に、施術のBGMを、なんとなく変えたくなって、このBGMを施術で最大限に活かすには?を考えました
マッサージにおけるBGMはリラックスを促すもの、からの世界観を再現、誘導できるものに転換できないかなと思いました
耳から入ってくる音と、世界観の再現といったら、まさに催眠音源だったわけです
そこで今まで聞いてきた100以上の催眠音声を参考に、催眠bgm調に不思議な世界を作りだし、徐々にエ〇いワールドで突入することができるものを作りたくなったのです
長くなりましたが、今回のこのエ〇ティック音のテーマは、不思議な世界
ハ〇ーポッターのような、アリ〇インワンダーランドのような不思議な世界に迷い込んでしまったあなた
世界を巡りながら、そこであなたは、ある聴き心地のよい音を発見します
音はまるでどこかで聴いたことがあるような音で、聴いたことのないような音
音は徐々にあなたを魅了していき、やがて音はある変化をしていきます
そこであなたが体験するものは一体………
その間、音だけでなく実際の私の手による施術も含まれます
映画の世界を体験しているような、物語の主人公になったような施術をお楽しみ下さい
自己紹介と私の施術
はじめまして!
江戸川レオと申します。
まだあまり自己紹介をしていないなと思ったので少し長く書き出してみました♪
★セラピストになりたいと思ったきっかけ
女性向けのセラピストになって今年で早5年になりました。
20代のうちに多くの経験をしてみたいなと考えたことが始まりでした。
元々10代から一つの目標に的を絞って精を尽くしてきたタイプでしたが、20代前半ぐらいの頃から一旦その枠を超えて違う世界を見てから人生の向きを決定していきたいと思慮するように。
人と接する役職で、出来たらマイナーであったり繊細さが求められるものがいいなと思い模索する中で、接客職の最上級は一体どこにあるのだろうかという疑問にぶつかりました。
個人的な考えでは、特に密なおもてなしを直接的に奉仕できる役柄にその答えがあるのではと思ったのですが、結論的にそれが見つかりそうだと思ったのが性のオープンスポットです。
お客様の身体に直接触れておもてなしをしつつ、その人を深く知り心に寄り添いながらも自分自身も学んでいけるなんてとても素敵な役ではないのかなと思ったのが所以だと思います。
エッ〇なことはどこでももちろんあると思いますが、考えようでは深みがあるところがいいなと。
現代の日本では風〇というお仕事に対して様々な考え方や捉え方があるかと思いますが、私にとってはある意味高度な接遇が求められるすごく難しいお仕事のような存在でした。
もちろん私は男性なのでお相手は女性になり、まだ今ほど女性向けの性業界がメジャーでなかった時にこういったカテゴリーを知って業界者との出会いも重なり、未発達の分野を進んでいく面白さにも魅かれいざセラピストとして一歩を踏み出しました。
★探偵系セラピストの由来について
ガチガチの肉体派というよりは、昔からカードゲームやボードゲームなど頭を使う遊びが好きであったり、日常的にも計算や知識に紐づいた物事に携わる機会が多く、この業界でも理系男子像を活かしたい、
またある意味では少し謎めいた男性でもいたいなということから探偵系江戸川という肩書きを拝借しました。
私の存在そのものが迷宮ミステリーであり時計仕掛けの摩天楼なんです(謎)笑
メガネをかけた感じがコナンに似ていると友人言われたのもきっかけです。笑
★多種多様性を大切にした施術
端的なマッサージやエ〇というよりは、様々な捉え方や選択ができる多種多様な時間と空間を大切にしています。
性コンテンツなのでメインの内容はある程度決まっている業態であるかもしれませんが、その日の気分によって○○がしたい、○○なアプローチでそこに向かっていきたいと、行き先が無数に枝分かれしており、その人によって赤色にも青色にも成りえるのがこの世界の面白さなのかなと思っています。
人が本当に望むものは、その時その人でないと見えづらいというのが人の欲の核心ではないかと考えています。
その日の気分に依存して、具体的に決まったジャンルのレストランに行っても、注文する前に一旦は料理のメニューを見たいじゃないですか?
大筋何をするかは決めておいても、こちらから何を出すかはその時まで断定し過ぎず柔軟性があった方がお客様にとって有意義なのではないかと経験からも深く感じております。
そういった意味では当たり前ですが、気分や体調が伴わなければお話をするだけの時間でももちろん大丈夫なんですよ。
これらの説を活かしていくと、私に求められているのは、「○○がしてみたい」の○○に当てはまるメニュー部分の選択肢をできるだけ広くしておくとであり、日々その質をあげておくことではないのかと考えておりました。
人に優しくしたい、人に寄り添いたいという想いを柔軟に具現化できるように、日常的に「優しさ」の深みを増していくこと。
私のセラピスト歴を振り返ってみて、自身にオプションが各種あるのは、できることが沢山あればおもてなしの気持ちを表現できる可能性がずっと広がるかもしれないと思っていたからなのかもしれません。
某探偵は「真実はいつも一つ」と言いますが、私の場合は10も100も行き先がある感じです。(上手いこと言ったと思ってる笑)
★五感を活用したリラクゼーション
自分の出来る範囲を広げていく上でベースにすべきは一体どこにあるかと考えたことがありました。
そもそもヒントは沢山あったのですが、例えば自分もリラクゼーションを受けたとして優先されて欲しい事項はどこにあるべきかと思い返すと、気持ちよさや心地よさの成立には五感の送受信を優先する以外に成しえないということに気づかされました。
一言で「気持ちいい」と言っても身体が気持ちいいのか心が気持ちいいのか。
身体であればどの部位がどう感じており、心であるならどういう気分でどう心地が良い状態なのか。
気持ちいいや心地いいというものが単一的ではなく、いくつかの五感の感受を経て成立していることを考慮してみることに。
例えば、スターバックスコーヒーでラテを心地よく飲んでいる時に、それがなぜ心地良いのか根を掘ってみると、味覚から味わうことのできるラテ本来の美味しさは元より、視覚から入るおしゃれな外観、聴覚から入るモダンなBGM、触覚から伝わる温かい室温などこれらがあることがわかります。
もっとも、これらは私たちがスターバックスに行けば無難で安定したサービスを受けられるという、いわばスタバと私たちによる信頼関係が既に出来上がっているからという前提条件も忘れてはいけませんが。
整理をすると、五感による心地よさの送受信の成立=気持ちがいい/心地がいい、ということです。
送信元が環境でありセラピスト本人であるとすると、受信元がお客様になります。
性的施術をする際に我々が当たり前のように行う導入のマッサージは受信元であるお客様の身体と心をリラックスの状態へ導くために行いますが、ここで主に活用されているものこそ五感の感受ではないでしょうか。
シンプルで何もない真っ白な静寂な部屋で受けるマッサージと、南国の海が見えるコテージで受けるマッサージを比較してみるとマッサージ中に入ってくる五感の情報量が大きく違うのがわかるかと思います。
前者であれば外的環境の視覚、聴覚の情報量が少ない分マッサージという触覚情報に集中できるかもしれません。
後者は想像通り波の音、海の香り、青々とした景色、温かい手によるマッサージなど一つ一つ聴覚嗅覚視覚触覚と五感の情報量が多いことが伺えます。
どちらがいいかは単純に好みの話になりますので割愛しますが、人間の身体は五感からの情報得て判断を行うので、リラクゼーションにおいてその送信元と受信元を整えることはやはり非常に大切なのかなと論的に考えています。
結婚歴の長い親しい夫婦の性交渉でさえ前戯という気持ちよくなるための準備を行うのですから、初対面の男性が信頼関係が成立していない女性に出会って数分で性的なことをするというのがいかに難解なことか。
俗世間的な考えで、逆パターンとして綺麗な女性が初対面の男性にする性的なことは概ね喜ばれるという怪奇的な想像もあるようですが、私でしたら当たり前にビックリしてしまうと思います。笑
少し脱線しましたが、私の施術は実はエ〇というより、いやらしいに特化していきたいと思っているのですが、施術中は視覚を楽しみつつ香りで気持ちを揺さぶり、手触りと音で心地良さを感じながらそれぞれの情報が最終的に線で繋がるストーリーのような施術をテーマにしています。
実のところ施術で一番再現化が難しい味覚の領域もところどころ種は撒いているんですよね。笑
そんな訳で五感の送受信を整えコントロールするを念頭に置いています。
★私がやっているオプションについて
お店のHPに載せきれていないものが各種ありますので随時お問い合わせくださいませ♪
- ホットストーンマッサージ
- フェイシャルマッサージ
- 足湯マッサージ
- ホイップクリーム施術
- ホットオイルドバドバマッサージ
- ハワイアン施術
- キャンドルマッサージタイム
- Iラインタッチ粘膜接触なしの性〇マッサージ
★苺と趣味の世界
もはや周知のことかと思いますが、私江戸川は苺そのものやイチゴスイーツが好きで趣味をイチ活として生きている人間であります。
幼い頃からずっと苺が好きだったかというと、おおよそYESなんですが、それが趣味なのかもしれないと認知したのは実はここ数年の話なんです。
「貴方の趣味はなんですか?」と聞かれて、自分の趣味は何だろうかと真剣に考えた時期がありました。
音楽とか、お酒とか、ゲームとか、スポーツとか、手芸とかそれを好きなものとして認知している人たちはいつそれをどういうきっかけで好きと認知できたのかと考えてみることにしたのです。
深堀りをしていくと、私にとっても生涯の中でやってみて楽しかった物事というものが無数にあり、それらの入口が実はとりとめもなかったことに気づかされました。
例えば学生時代の部活動なんかを例にすると、私は陸上部でしたが、きっかけは当時ジャンプ漫画で連載していたアイシールド21という漫画の主人公が脚が速くてかっこいいから自分もそうなりたい!ただこれだけ。笑
そもそも好きなことなんだから悩まず単純に好きか嫌いかという基準だけで決めていいんだと思った時に、たまたまコンビニで苺のお菓子を買っている最中でした。
私は商品をジ~っと見つめ、「もしかしたら俺、いつもイチゴを買っているしイチゴが好きなのかもしれない」と思い、じゃあこれを趣味にしよう!と思い立ったのがきっかけです。
これ俺の趣味にし~ちゃおってノリ。
それからというもの、イチゴのお菓子やスイーツを食べあさる生活が開幕し、イチゴ関連に対するあらゆる見聞を広げていきました。
イチゴの世界で一番面白いのは品種が多数あることで、見た目も酸味もそれぞれ産地で異なることなんです。
それはまさしく人間のようで、あまおうみたいな方もいれば、とちおとめのような方もいる。
いや、例え方が逆か。
そんなわけで、イチゴを味わうイチゴライフが始まったのです。
ちなみにイチゴの他に現状これが好き!!と認識しているのは以下の通り。
トレーディングカード(遊戯王、デュエルマスターズ、ポケモンカード)
魚(サーモンとハマチこそ至高)
料理と物作り
犬類(実家でイヌ飼っているため)
漫画(ワンピース、コナン、テニプリ、宇宙兄弟、たまにコスプレします)
USJ(VIP年パスを有する戦士です)
映画(サスペンス系、コメディー系)
生活便利家電全般(アイアンマンのトニースタークのようなオートメンション化した生活にとても憧れています)
こんな感じで、犬を膝において撫でながら甘いもの食べつつ映画とか見ながら携帯でトレーディングカードのアプリをやってる時間が幸せですね。
まさに廃人のような生活です。笑
長々と紹介しましたが、こんな私ですがよろしくお願いします♪