探偵系セラピ レオの手記

オトナのホテルという密室であなたと私のミステリー 長文紹介や想いなどまとめ

問いストーリー

 

 

本編に関わるネタバレを含みますので、これからトイスト4を観る予定の方は読まない方がいいかと思います

 

先日トイストーリー4を見てきました

 

初めてトイストーリー1が公開されたのが1995年頃であり、私はDVDで映画を観たので初めて、トイストーリーシリーズを観たのが4歳5歳ぐらいの時のことでしょうか

 

トイトーリー2が1999年、しばらくしてトイストーリー3が2010年

 

とにかく幼い頃からこの作品を観てきた私にとっては非常に馴染みのある作品で、4をやると知った時に、何故作るのか、作ったのかなど、そんな理由はさておき、自然と見に行こう思えるぐらいの作品でした

 

 

今回のテーマが

「衝撃の結末」

映画ではありがちなコンセプトなゆえにそこまでの期待をせず

前情報や、評価など一切確認せず観に行ったわけです

 

観る前はまたウッディーやバズに会えるのか~(わくわく)

子連れも多く、いつも観るアクションやサスペンス映画の雰囲気とは違い、何ともほのぼのした雰囲気で、もはやそれだけで癒されておりました

 

しかし映画が始まってみると、いつものトイストーリーではあるものの

なんだかいつもと違う雰囲気

 

おもちゃとしての役割はなんなのか

 

ピクサーはシリーズを通してどんな時も子供に寄り添うこと

その子供を愛し、嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は慰める

 

そういった描き方を貫いてきた作品でした

 

トイストーリー2でバズが「おもちゃは子供に愛されてこそ生きる喜びがある、かつてそれを私に教えたやつがいる」と言われ、元のウッディに戻るシーンがあります

 

トイストーリー3でウッディーは、大学生になったアンディーと大学に行くことよりも、おもちゃとして在るために近所の女の子ボニーのところに行くことを選びました

それは、アンディーの元にはおもちゃとしての役割は残っていない

だからこそ今度はボニーのもとでおもちゃとしての使命を遂行する

“おもちゃとして” 誰かの人生に寄り添うことを選んだのでした

 

本作トイストーリー4では、それが幸せだったのかということを投げかけてきます

ウッディーは過去を思い出すかのようにゆっくり頷きます

子供はいつか大人になってしまう

そうなった時に自分たちはいつか遊ばれなくなってしまうが、誰かの人生に寄りそうことができ、その人の人生のページに残ることができるということがいかに幸せなのか

 

ギャビーギャビーという本作でウッディーたちを陥れる、最初から壊れていたおもちゃが出てくるのですが、そんなギャビーギャビーは本当はウッディーが羨ましい

自分も子供達と一緒に過ごす人生に憧れていた、でもほんとにそれはウッディーにとって幸せだったのか問いてきます

ここでもウッディーは時間をかけて、「ああ、そうだよ」と頷きます

この考える時間、きっと今までのアンディーとのこともきっと思い出しているんだなと思うとポロリと涙が(笑)

 

そんなウッディーがはぐれてしまったボニーの元へ帰ろうとするわけですが、

 

~~~~~~~~~~ここからほんとにネタバレ注意~~~~~~~~~~~~~

 

最後に選んだのはボニーところに帰らないという選択でした

このラストに関して、賛否両論のようで

ウッディーは今まで貫いてきた、おもちゃとして在り方、寄り添いの気持ちよりも、自分の人生を選んでしまったのか、自分の幸福を選んだのかという点です

 

私はこれに関して考えましたが、これは違うと思いました

ボニーや一人の子供の元に寄り添うことを捨て

いろいろなおもちゃを適した持ち主に送ることだったり、自分がおもちゃとして、今以上に最も真価をはっき出来る場所を探したい

ウッディーの願い、おもちゃとしての役割を追い求める姿は今でも変わってなかったのではないでしょうか

 

もちろん従来の持ち主であるボニーが心配なウッディーですが、そんなウッディーに長年の友バズライトイヤーの最初の一言が、「ボニーは大丈夫だ」とだけ言います

ありがとうでも、さようならでも、元気でね、でもないんです

あれだけ長く困難や思い出、人生を共にした二人がこれだけなんです

個人的にアンディーやボニーとお別れするところより、この二人がお別れするのが何より辛かった。。。。

 

こうしてウッディーは旅立ち物語は終わるのですが、

 

今までおもちゃとしての在り方を描いていたトイストーリー

もしこの、“おもちゃ” の部分をセラピストという文字に転換にしたら非常に納得のいくことに観ている途中で気がつきました

 

おもちゃにとっては子供なのかもしれないが、

私たちセラピストが必要とされるのは、大人であり、人である

大人だって成長もする

 

いつかはいなくなってしまうかもしれないし、使って下さる方の幸せ、人生の充実を考えた時にいずれは私たちはその人の中での役割を完遂する時が来るのかもしれない

でもそうであったとしても、“セラピストとして”、誰かの人生に寄り添うことができ、その人の人生のほんの一部にでもなれることがいかに尊いことなのか

その人のこれからが幸せであり続けるということが大切であるということ

今一緒に働いている仲間のセラピストさんもいつかは各々の道を選び進んでいくかもしれない

今この仲間と一緒に働けるということがいかに素晴らしいことなのか

トイストーリー4という作品がおもちゃとしての在り方を説いてくる中、私に対しては

じゃあお前は?

と聞かれていたような感覚でした

 

私たちが過ごす世界もまた、“問いストーリー” なのかもしれない