探偵系セラピ レオの手記

オトナのホテルという密室であなたと私のミステリー 長文紹介や想いなどまとめ

なりたいのはマッサージ職人ではない

 

勇気をもって失敗したい
以前にこんなツイートをしました

自分の人生について少し考えたことがあります

あなたは結果主義ですか?過程主義ですか?

僕は結果主義タイプの人間でした
今まで学生時代より結果結果結果、結果こそ全てという悪魔のような呪われたバックグランドを歩んできたからです

超現代人病ですよね

常に結果を出していく事が求められた環境だったことに加え、結果を出したという事実そのものの脅威的な力を見てきたからです

結果を出す人はざっくり3パターンで

天才
運がある人
努力家

日本人は特に何もない状態から努力で成功していくことを美だと考える習性が強いと思っているのですが、果たして結果主義だった僕がこの超結果主義社会に満足しているかというと、すごくモヤモヤしていました

例えばめっちゃ勉強したのにテストでいい点とれなかった時
いろいろ工夫したのに周りから評価されなかった時

何かにしろ地道な努力をした、向き合おうとしたにも関わらず、結果が出ていないから今までの過程は間違っていた、無だと周りは評価をしてくれない


こんな人生嫌だな~、でも結果出さないとな~、とそんな風に捉えていました

そう考えていると、常に結果に焦点を当て物事を考えてしまうようになっていたんです

努力よりも結果が大事である、どうやったら結果がでるのか

《努力とは結果を残すためのコストである》
一番よろしくない状態なのかなと僕は思ってます
コストってことはお金と同じで、出すこと自体を負だと思っていくようになるんです

努力(コストを払わなくても)をしなくても結果が出せること、才能があることを最高の状態と考える

たとえ才能がなくても努力で物事を成し遂げて偉大だと評価する

努力をしても結果が出ないことは最悪なこと
また結果のない努力は無価値のように思えてきてしまう

最小の努力(最安)で結果という成果を欲する
こうなってくると自分の中で努力そのもの価値がどんどん下がっていってしまうんですよね

でも努力はお金と違います
結果に執着せずに、努力や失敗そのものの価値を認めたい
時として遠回りすることも大いに意味がある
けれど結果を求めてしまう、結果に嫌悪を抱く自分もいる

心のブクブクが止まらんねえ!っていう状態です

 

だからこそ!
何か目に見えない現実や何かに葛藤しているセラピストとして、同じように何かに葛藤して何かで疲れている方たちのお相手もしたいと思っていましたし、事実そういった方々との出会いが多い世界だなと感じています

ふと思ったのが
結果が出ている、出ていないに関わらず
果たして僕はこのセラピストというお仕事で努力というコストを払ってきたのか?
これを考えてみました

この業界に入りたての頃ってお客様を癒やしたい!とか、性★マッサージとはこうです!とか、こうやったらイきますとか
いかにも専門ティックのような、プロフェッショナルな感じを作り出そうとしていました
それはそれで成功した(成功したように見えていた)方がいたからです

今となっては “癒やしたい” はする方の主観性や主張が強く、そして自らの技倆を謳うのはあたかも誰にでも真似でき、誰にでも効果を発揮するみたいな、なんだか受け手を見る、そもそもお相手を洞察する大切さを損ねる気がしてどっちも好きじゃなくったんですけどね

“僕がなりたいのはマッサージの達人ではない”
これに気がついてからそれはやめました


マッサージのお勉強は大事だけど、我々セラピストにとってはおもてなしやマナー講座の方が必要なんじゃないのかなと個人的には思っています


前店にいた際に技術だけではなく、マッサージ以外の人との向き合い方や、接客の考え方に対していい具合にすぐに成果が出ないような教えを受けました
それもめちゃくちゃ勉強しなくちゃいけない!とかでなく、むしろ努力なんて皆無、しなくていいような課題をポッと投げかけられたような

中身については今回は割愛しますが、
結果としてこれが今の僕自身と日々の施術にすごく活かされてます

この結果に対して、僕はどんな努力をしたかというと、してないんですよね努力
強いていえば考え方を変えたり、“進み続けていた足” をちょっと止めただけ
こんなこと意味あるのかな~って悩みながら

今までの僕は、ここテストに出るから勉強しとけーよってところをテストで100点を取るために勉強するとか
この仕事でいい結果を残すためにこれとこれを修練するんだ!とか
分かりきった成果やご褒美が目の前にあるからこそ頑張れてました

何故この自分のスタンスが崩れたかというと、

当時の講師さんに対する信頼性がとれていたのと、女性接客や人の心は理屈でどうにかならないものであるという事を身を持って知ったからなんだと思います
どんな事もまずはやってみろの精神です


つまり今までどんな結果が出るか分からない努力をするのを躊躇していた私はこの業界に来て初めて、結果が出るかも分からない、ましてやどう努力するのか、そもそも努力なのか分からないことが試行錯誤するようになったのだと実感しています


セラピストに初めてなった際に金額に見合った内容の施術をしないといけないというプレッシャーがありました
そんな中で答えのない質問を前店オーナーや同僚セラピストさん、関係講師さんに聞いてまわったり、もちろん失敗もたくさんしてきました
何回も何回も意味あるのかなこれってこともしていたと思います

でも結果、現状今少なくとも1人以上のお客様から「来てよかった」「ありがとう」と頂けているからすごく意味がありましたよね

人生の中の過程も結果もそれでいいんだということに気づけました
自分が今している努力、つまり過程の“意味”(結果)を求めなくていい
行ったことの結果が、誰かの、何かの“意味”(結果)あること”になればいい

これはすごく大事なことなんだと捉えています

 

意味など探さなくていい
一生懸命やった、自分が精を出しつくした120分の結果
幸せになってくれる人がいる
これ以上のことはないと

だからこそ勇気をもって失敗することも、勇気をもって何もしないことをするもやっていっていいんでしょうね
きっと何かの意味のあることに変わるのだから